中島病院のあゆみ

当病院は、明治34年より戸田市で医業を行って参りました。その歴史の一部をご紹介させていただきます。

埼玉県小川町の名主の長男として生まれた初代中島玄覚国光は、江戸後期当時としては画期的な「化膿性疾患の切開排膿術」を有する蘭方外科医として診療所を湯島近くに開業。

その画期的な技術を買われ水戸藩の御典医となる。脱藩した各地の勤皇の志士を数多く食客としてかかえ医業も隆盛を極めていたが53歳で急逝。2代目中島敬三が満5歳のときだった。

父である玄覚を幼くして亡くした敬三だったが、多くの門弟達の世話になりながら済生学舎に学び、黒板拭きをしながら授業料の免除を受け医師試験に合格。明治32年戸田の避病舎(伝染病隔離病院)の勤務医として働く傍ら在宅医療も行っていた。明治34年5月埼玉県戸田市に医院を開設した。

昭和6年3代目中島明が父の業を継ぎ現在の所在地(戸田市下戸田)に移転。明は庶民的な人柄で深夜の往診もいとわず、虫垂炎手術で名声を博し今日の中島病院の基礎を形成した。

昭和8年病床を2床設置し有床診療所となった。

昭和34年4代目中島穣が父の業を継ぐ。穣は東京大学医学部卒業後大学で腹部及び血管移植外科の研究者を志していたが、明が病床に倒れた為父の意思を継いだ。

昭和38年改築し病床25床の「中島病院」となる。戸田市が発展していたこの当時、入院施設が皆無に等しい状態だった。大学病院では行えない「患者さんとの心の通った医療をこの地域に」というビジョンを掲げた。昭和42年に法人化をし、同年病床数が100床となった。その後埼玉県初の人工透析を開始。病床数の増床・療養病棟の開棟・各種検査機器の導入などを行い現在の中島病院となった。

平成21年5代目中島昌人が院長を継ぎ「愛と真実の医療」をモットーに職員一丸となってチーム医療を行っております。この歴史に恥じぬよう、地域の皆様に愛される病院を目指して努力をして参ります。





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